昼間の某情報バラエティ番組で、ドラえもん映画で泣く発言があった。
スタジオ中共感する中、海底鬼岩城の話をしたら、空気が変わった。
楽しかった冒険の相棒が、最期はネジになる話し。
スタジオの空気は、この人何言ってるの?な感じになってたぉ(´・ω・)
そもそも、ドラえもん映画で感動はしても、泣くという表現はおかしい。
ドラえもん映画の醍醐味は、冒険のワクワク感であり、そこから続く感動のクライマックス。
この鬼岩城発言者以外の人は、何を言ってるのだろう?
私は、わんにゃん時空伝までは追ってたが、それ以降は知らない。
それ以降は、「感動」ではなく、「泣く」にシフトしたのだろうか?
しかし、わんにゃん以降で唯一見た秘密道具博物館は、これがドラえもん映画なの?
って首をかしげる出来だった。冒険のワクワク感もなく、蠢く陰謀もなく、びびっとひらめいたが前後とつながりのない別シーンになってて、違和感しかなく、つまり、「感動」もなければ、「泣く」もなかったぉ(´・ω・)
つー訳で、歴代ドラえもん映画の中で、心に響いたシーンを語ってみたい。
まず一つ目
「いくじなし!」 (鉄人兵団)
メガトピアの先兵として地球にやってきたリリルは、のび太達といるうちに、自分達のやってる事が間違ってるのではないかと、思い始める。
そんな中、怪我の治療中に抜け出し、メガトピア軍と合流しようとするが、のび太に見つかる。
「撃つぞ!」
のび太のこの言葉に、自分の悩みから解放される、間違った行いを止めてくれる。そんな希望を感じて答える。
「いいわ、撃って」
それに対してかえってきたのが、
「ほ、本当に、撃つぞ!」
「いくじなし!」
この時のリルルの心情、切なくて私の心に響くわ(´・ω・)
鉄人兵団ではこの後の、
「素敵じゃない。私が新しいメガトピアの神様になれるのよ」
これも感動的だね(´・ω・)
自分の存在が消える事実を受け入れて、自分が消えてしまう作業を始める。
消えたくない思いもあるだろうに、悲しむしずかちゃんに、こう答えた。
リルルー!!この時点でもう、叫びたくなるわ(´・ω・)
消えてから叫ぶなよ、遅いよ、しずかちゃん(´・ω・)
次、
魔界大冒険で、のび太が逃げるシーン「必ず、助けにくるからね…!」
この少し前のシーンから続くのだが、女の子を見捨てて逃げられない、と言うのび太に、
「あなた、魔法が使えて?悪魔と闘えて?」
「厳しい事言って、ごめんなさい。必ず、助けに戻ってきてね」
この言葉を受けてからの、のび太の心情。これも私の心に響いたわ(´・ω・)
魔界大冒険は、予告が怖かったよね。
のび太とドラえもんの石像。怖いものを見て、そのまま固まったような…。その石像が動いた!?
次、
大魔境で、ジャイアン1人が立ち向かっていくが、最後はみんなが合流するまでの流れ
「剛さんは、ずっと自分なりに責任を感じていたんだわ」
そこから全員そろうまでの流れは、ほんと、ジーンときたわ。
伏せて!→また伏せるのか?→からの、今のは転んだだけですは、大爆笑だったね
こうしてみると確かに、ドラえもん映画で「泣く」もありに思えてくるな
(・∀・)
でも、その根底にあるのは、「感動」だと思う。
ちなみに、映画じゃなくて放映版で泣けたのは、
「ドラえもんは、もういないんだ。帰ってこないんだ。」って、階段上るシーン
これ、その後リメイクだのなんだのされてるんだが、それだとなんとも思わないんだよな。
結果を知ってるからかな?それだけじゃない気がするんだけれど。
